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トルコ遠征記(その1)

トルコ・アンタルヤは、南帆にとってITFシングルス初優勝を飾った縁起の良い場所であり、これまで計3回訪れてベスト4や8など、一定の戦績を上げてきた会場である。帯同コーチを付けなくとも年若い女子選手が1人で行ける安全性、リゾートホテル敷地内で全てが完結する居住性が良好、長い遠征を再開するには適した場所と思われた。

遠征期間は1/31〜3/28までの9週間(15K15K25K25K15K25K25K15K15K)であったが、1週目の試合のエントリーデッドラインぎりぎりになってから、急に2月から3月にかけてオーストラリア60Kの試合催行が発表されたりアンタルヤも急遽25Kが増えたり、遠征地を迷わせる事項が増えたが、上記の理由とオーストラリアは全豪からの流れで層が厚くなると予想、ランキングを落としていた南帆には15Kを挟むアンタルヤの25Kでチャレンジする方が得策と思われた。これが(ランキングを上げるという意味では)全くの見当違いだったことが後々判明する。

第1週目15Kはベスト4で優勝者に惜敗。ジュニア時代は超のつくエリート選手だったブラックさん、ジュニア期勝って終わっていたがリベンジされた。しかしまずまずのスタート、2週目の15Kに力が入ったが、ベスト8でこれまた優勝者に敗退。しかし1回戦では329位のトップシードに勝っているのである。敗れたのは417位の選手。ドロー運をどう考えれば良いのか、わからなくなってきたのがこの頃。そして25Kの予選が始まった。3回勝たないと本戦入り出来ない、まるでグランドスラム予選の様な様相を呈していたが、見事予選通過。予選2回戦では、17歳の時に大接戦を演じた426位シモン選手に6-1.6-1で完勝。本戦での活躍に期待がかかったが、1回戦で492位に5-7.4-6で惜敗。続く2週目は、予選2回戦で439位に敗戦。ダブルスでは25Kで準優勝、優勝と、ペアの光崎プロに感謝したが、同時期開催のオーストラリア60Kでは南帆のランキングでも本戦入りなのを見て愕然とした。そして1000番台の選手がベスト8入りなどしていたのである。どうやらオーストラリアはコロナ規制がその頃まだ厳しく、ヨーロッパ勢は軒並み回避していたのである。

しかし今更後悔しても始まらない、続く15Kは、翌週から始まる25K2週の間にある為なんと予選から。これも3回勝たなければならない。何とか勝ち上がる南帆であったが、またもベスト8で480位に惜敗。もどかしい試合が続く。そろそろ体力的にも厳しくなってくる頃である。ここまでで18試合。試合数だけはかなりこなせていた。

この頃アンタルヤに残る選手、別の地に活路を見出す選手に分かれてきた。我々も当時少しずつわかってきていたのは、同じランキングでも今がキャリアハイなのか・蓄積を活かした形なのか・そしてアンタルヤに来るまでにタイトルを重ねてきているのか否か、で選手の力量に相当の差があるという事実である。シモン選手には楽勝でも、彼女よりランキングが低い若手には勝てない。そしてシモン選手は見切りを付けるのもベテランらしく早かった、25K2週目には移動してしまったのである。本戦入り出来るランキングであったのにも関わらず。ある意味賢い選択である。400番台の自分でも、若手の勢いには敵わないことが経験でわかったのであろう。25K3週目は予選1回戦で337位にあえなく敗退、心身の疲労回復に努めることにしてリフレッシュを図った。25K最後の4週目、何とか結果を出したかった南帆はこの週から参加人数の減った予選で383位に快勝、予選決勝も何とか競り勝ち本戦に進む。しかし本戦1回戦で現ジュニアNo.1、569位ながらITFツアーでの優勝を重ねて来てアンタルヤに乗り込んできたチェコ16歳に3-6.1-6。ヨーロッパクレー巧者、本物のエリートは強かった。甘いボールは決して見逃さず、リスクを恐れず前に入って打ち込むという、強い選手の特徴を備えていたそうである。まだ荒削りながら、南帆との対戦では全てラインを捉えて来たらしく完敗。残るは15K2週。しかし相変わらず15Kながら、本戦ぎりぎり。チュニジアやメキシコではシードがつくのにも関わらず。試合はベスト8で414位18歳に5-7.2-6、最終週はベスト16で1,419位(!)の17歳に敗退。この遠征を象徴するような対戦相手であった。(続く)

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